私が作家(脚本家、構成作家)を目指す理由
今日ははてなブログのお題でブログを書いてみようと思います(*´∀`*)
5/16(水)が締切の「働き方にまつわる転機」ということで…
私が脚本家や構成作家といった「作家」を目指し始めたお話を(*´艸`*)
ちょっと話が重くなってしまうのですが…
大賞のギフト券10万円ほしいから書いちゃうぞw
貰えたらシナハン用にカメラを買います(^^)
私は現在テレビ関係の仕事をしておりまして…
今の会社は約2年、前のリサーチ会社では3年半勤務しました!
去年はシナリオライター講座に通って脚本の勉強をしまして(全然書けていないので来月は頑張る↑↑)、今年10月か来年4月にはバラエティ作家講座に通おうと思っています☆
まぁ、脚本家とバラエティ作家ではだいぶ違うのですが、最終的な目標は「沢山の人を笑わせたい」ということです( ゚∀゚)
そう思うようになったのは遡ること8年前…
8年前、私はテレビとは全く関係のない土木関係の会社で事務員をしておりました。
そこでは5年ほど…。
入社きっかけは当時お付き合いしていたクズ男(バツイチ、前科2犯、付き合った当初執行猶予中、元暴力団関係者)が働いていた会社で、事務員がいないからとのことでお世話になることに。
5年間なんやかんやあったのですが、2年目に部署を異動しまして…そこで私の転機は訪れました。
そのきっかけは3歳上の男性A。
私が異動していった時、女性がいなかったので馴染めるようにといろいろ話しかけてくれました。
私に外見的特徴(足や手が男並みにデカイとか)があって、事前に知らされていたのかそのネタで毎回絡んでくるw
私もそれに乗っかっていつも笑っていました(*´∀`*)
でも他の人が言うには…
「Aはお前が来てからすごく笑うようになったんだよ」
とのこと。
「人を笑わせられる、笑ってもらえる」ということはすごく嬉しくて
もっともっと笑わせようと毎日毎日新しいネタを用意しては休憩中に話しかけて、Aさんの笑顔を楽しみに仕事をしていました(ちゃんと仕事しろ私w)
そんな毎日が続けば良かったのですが…
ある日、Aさんは事故で亡くなりました。目の前で
今でもその時のことを思い出すと涙が止まらない…
Aさんのことを好きになりかけていたのかもしれない。今となってはわからないですが
「バレンタイン、一人だけ違うのあげようかな」とウキウキしていた1月のことでした。
しばらく毎日泣いていて、周りの人にも「やつれたね」と心配されるほど…。
その後、ご両親から聞かされたのは
「うちの子は会社ではどんな子でしたか?家では話をしないし笑いもしない。
写真があったらください」
と。遺影は免許証の写真でした。
さらには、引越し準備を進めていたようですが、引越し先も家族には伝えていなかったと。
あの人が私に向けてくれた笑顔は本物だったのか、作り笑顔ではなかっただろうか
そんな風に考え始めた頃、夢に出てきてくれました。
会社での風景。Aさんに「何で死んじゃったの」と泣きつく私。
「死んじゃってごめんね。ありがとう」というAさん。
(ここで終われば美談なんですが、Aさんは続けて「好きになってくれてありがとう。でも彼女いるんだ俺」と。告白してないのにフラれてるw好きかどうかもわからないのにw)
ハッとして目を覚まし、よくよく考えるとその日は四十九日でした。
嘘のような本当のお話。
27歳で亡くなってしまったAさん。私は改めて自分の人生を見直しました。
やりたいことたくさんあったでしょう。
私は何がしたいの?今の会社に夢はあるの?
何がしたいか…Aさんが笑ってくれたようにたくさんの人に笑ってもらいたい。
その後1年間いろいろ考えて、仕事をしながら「よしもとクリエイティブカレッジ」というところに通い始めました。
そして卒業後に会社を辞めてリサーチ会社へ。
リサーチ会社ではバラエティ番組の企画を出したり、構成作家と一緒に仕事をしたり
さらには別部署で舞台を手がけていて脚本家の人が泊りがけで仕事をしたり。
作家業に囲まれて仕事をしたこともあって、今の感じに(*´∀`*)
実際にシナリオライター講座に通うきっかけになったのは、好きな俳優の映画の舞台挨拶へ行って「脚本家になれば一緒に仕事できるんじゃない?」でしたwww
でもちゃんとその前にシナリオライター講座のことは調べていましたよ( ゚∀゚)!!
「人を笑わせる」という手順はいろいろあるので、目標は数年後には変わっているかもしれませんが…目標は変わっても目的は変わりません!
目的地にどのような交通手段で行くのか…それだけです!
飛行機か船か電車か…
いつか目的が達成できますように(*´艸`*)